9月30日、鹿児島中央駅の「若き薩摩の群像」に2名の薩摩藩士が追加建立され、完成除幕式に出席しました。(記念写真左端)
追加建立に関してご理解・ご協力をいただいた製作者の中村晋也先生を始め、ご尽力いただいた関係の皆さまに対しまして心から感謝申し上げます。
私の祖父と親交のあった中村晋也先生と式典前にお話をしました
「若き薩摩の群像」は、鹿児島市の五十万都市達成記念事業として、薩摩藩遣英使節団の功績をたたえるとともに、郷土の限りない発展を念じて、昭和57年3月に建立されましたが、19名の使節団のうち、土佐出身の高見弥一と長﨑出身の堀孝之の2名は薩摩藩出身でないことから除外されており、薩摩藩が排他的であるとの印象を与えかねない状況でした。
この事についてはこれまでも市議会において議論がなされ、私自身、市民の皆さんのご意見も踏まえるなかで、平成19年第3回定例会と平成20年第3回定例会において2名の追加建立を求める質疑を交わしております。詳細は以下のリンクから(動画は20年のみ)
平成20年第3回市議会定例会 川越桂路 質疑動画
https://www.kagoshima-city.stream.jfit.co.jp/?tpl=play_vod&inquiry_id=44
会議録検索システム
https://ssp.kaigiroku.net/tenant/kagoshima/MinuteSearch.html
その当時、鹿児島市は「若き薩摩の群像は完成された美術品であり、追加建立することは難しい」旨の答弁を行っておりましたが、この度、関係者の方々のご尽力により、建立から38年の時を経て、2名の追加建立が実現しました。
除幕式式典において鹿児島市議会議長として祝辞を述べました
今回新たに、2名の薩摩藩士が現代に蘇り、薩摩藩英国使節団全員が一堂に会したその威風堂々たる姿は、まさに壮観であり、苦難を乗り越え達成した先人の偉業を改めて誇りに思うと同時に、追加建立を求めた一人として抑えきれない感動をも覚えたところです。
開明的だった薩摩藩は、幕末期の慶応元年(一八六五年)に、当時、鎖国政策下であったにもかかわらず、国禁を犯して19名の若き精鋭を薩摩藩英国使節団として英国に派遣しました。
使節団のメンバーは帰国後、藩という枠にとらわれることなく、黎明期の近代国家日本建設の原動力となり、大きな役割を果たしたことは、皆さまご承知の通りであります。
かつて19名の若者は、溢れる情熱と高い志を持って、遥か英国の地に旅立ち、日本の近代国家建設の原動力となりました。
その先人たちに倣い、鹿児島の若人が世界に羽ばたくことを期待しております。